はじめまして、俺の名前は、KEI。51歳。
決して若い年齢とは言えませんが
今は海外生活を満喫し、ネットからの自動収入で安定した生活を送っています。時間はゆったりと流れ、小さな人間関係のストレスなど一切感じることがありません。
まさに別世界です。
もし今のあなたが
今の生活に満足していないなら、
今日の話はきっと分岐点になります。
私の人生
俺は26歳で起業し、わずか半年で資産7億を築くことができました。
運も味方していた可能性がありますし、若さなりの勢いがありました。
しかし、その後10年で、そのすべてを失いました。
言葉に言い表せないほど悔しい思いもしています。
なぜなら、普通の人生を送っていたら
決して手にすることができない富を手に入れたのにそれを維持することが出来なかったからです。
では、そこから、どのようにして“本来の自分・自由 × 心から幸せだと思える人生”を取り戻したのか。
その辺の事情を包み隠さず話していきます。
まずは素の私を知ってもらうために
底辺のクズ時代の話からしていきます。
正直に言いますが私は25歳までは、まともに働かない、救いようのない生活を送っていました。
今になって考えても決して真面目とは言えないとんでもない青年でした。
一般常識から考えれば普通に会社に勤めて、安定した生活を送れるように頑張る。
これが普通の人の認識だと思います。
しかし、私は違った。
日雇い、テキトーなバイト、女に食わせてもらうという救いようのない生活を送るクズでした。
自分が嫌いで、社会も嫌いで、将来は何も描けなかった。
というのが現実です。
プライドばかり高い癖に、社会に出て勝負すぐこともできない。
思い返してみても、この頃の私は本当にダサい奴でした。
私は人生を変えようと決意しました
しかし、そんな俺が、なぜか25歳の時から肉体労働のバイトに精を出し始めました。
なぜなら、学がない体力だけがある若者ができる仕事などそれくらいしかありません。
また、いい加減に、だらしない生活に嫌気が差していたということもありますし、「自分は何者かになれる」という根拠のない自信が俺を行動へを突き動かしたのです。
しかし、唯一の収入源であった日雇いの労働もある日を境に仕事を与えられることが少なくなっていきました。
この辺の事情は仕事を与えてくれていた会社の事情なので、どうして仕事がいきなり少なったのか私には分かりません。
日雇い労働者など一番先に首を切られる弱い存在ということです。
またその当時、俺には収入の手段がそれしかありませんでしたから必死になって金を稼ぐために求人を漁りました。
今はネットで求人を探すのが普通ですが
俺の時代はコンビニなどで求人誌を購入して仕事を探すのが普通でした。
求人誌をパラパラとめくり
その時偶然目に入ったのが――金融会社の募集。
給料も25万以上となかなかよく
学歴不問(がくれきふもん)、経験なしでもOK
という言葉に惹かれました。
特にその業界に関心があったわけではありません。なんとなしに「収入が良さそうだな」という理由で選んだというのが現実です。
しかし、働いてみてびっくり
そこは
半分ヤクザ、半分堅気。
というとんでもない世界だったのです。
初めて知る怖い世界。しかし、なぜか恐怖心は一切感じませんでしたし
逆に裏社会的で惹かれる部分がありました。
今になって考えれば若いなー
という感じですが若気の至りと言えばそれまでです笑
そうです、私のスイッチは、そこで入ったのです。
毎日定時に出勤、夜遅くまで働き
出世して大金を手にするために全力で働きました。
なぜそこまで本気で打ち込んだのか今でも理由は分かりません。
しかし、元来持っていた「負けん気」がライバルに負けたくない。という気持ちに火をつけたのかもしれません。
またそれまでに適当な生活を送り
本来の自分の実力を発揮することができていないという焦りもありました。
自意識過剰ですが笑
もちろん働くといっても最初は一番下のペーペーからですが
3ヶ月ほどで店長まで上り詰めることが出来ました。
そのモチベーションになったのが
ペーペーの俺とはけた違いの給料をもらい贅沢な生活をしている店長の姿を見てきたからです。
店長が羨ましかった。
店長みたいに金が欲しかった。
店長みたいに贅沢がしたかった。
だからこそ1日でも早く、その位置まで登りつめることが私の目標だった。
なので全力で仕事に取り組むことができたし、短期間で店長まで登りつめることが出来たのです。
恥ずかしいですが、私は当時そこまで「金銭欲」に取りつかれていました。
まさに金の奴隷ですね笑
また店長に上り詰めてからも
所属グループでトップになることが目標だったので、店長になってから3ヶ月ほどで成績1位まで駆け上がりました。
他の無能な店長連中など眼中にない
俺との勝負になんて勝てるわけがない。と思い込んでいました。
そもそも俺は幼少のころから
どちらかと言えば協調性がある方ではありません。
また当時は他の店舗などライバルに負けるのは意地でも嫌だったので、同じグループに所属していながらも他の店舗は完全に無視、自分が勝つことばかり考えていました。
ほんと意地でしたね。
絶対に他の奴らに負けるのは嫌だ。
どんな手段を使っても自分が勝つ。
今になって思い返しても、協調性ゼロの本当に嫌な奴だったと思います(苦笑
さらに一番最初に目標としていた店長になることができたので、そのあとはで出世して、この会社で上へ行くつもりでした。
次のステップである「社長」まで登りつめる気だったのです。
社長になれば店長とは比べ物にならないほどの収入を手にできるし、さらに贅沢な生活を送ることができる。
まさに基準が
「金」「金」「金」
という分かりやすい欲望の憑りつかれていたのです。
そんなある日知人からある誘いを受けました。
彼は
「独立しないか」
と僕の耳元でささやきました。
彼も金の匂いを嗅ぎつけたのでしょう。
「そこまで仕事ができるなら、自分で独立したらもっと稼げるぞ」
と言ってきたのです。
その言葉が魅力的でその当時私は本当に悩みました。
その会社で出世して社長を目指すか?
独立して巨万の富を目指すか?
失敗するかもしれない恐怖心と大金を手にすることができるかもしれないという果てしなき金銭欲のはざまで悩んでいたのです。
数日悩んだうえ、私は自分の欲に忠実な結論を出しました。
独立を選びました。
その当時26歳。
その当時付き合っていた彼女からは「猛反対」されましたが、私は自分を貫きました。
成功という名の幻想
それまで働いていた金融会社をやめ
優秀な従業員を引き抜き
同じビジネスモデルの会社をすぐに立ち上げたのです。
そして
27歳で、資産7億。
わずか半年という短期間でそこまで駆け上りました。
にわかに信じられないかもしれませんが
その当時の俺はエネルギーに満ち溢れていたし
並外れた行動力がありました。
夢にまで見た「富豪」
高級車のエンジン音が、自分の鼓動と同じリズムで響いていました。
まさに無敵の人。という状態でしたね笑
初めて買ったのは黒塗りのベンツ。メジャーリーグに挑戦した超有名野球選手が乗っていた車。
成功者の自分にふさわしいと思い購入し、エンジンをかけた瞬間、胸が震えました。
まるで自分まで大きくなった錯覚を持ちました。
自分は何をしても成功できる。失敗することなんてありえない。
そんな幻想を本気で信じていたのです。
それからも飽きては新しい高級車に乗り換えて、自分自身が完全無欠の成功者であると思い込んでいました。
札束を見ても、何も感じない。
時には1000万のブロックを投げ合って、キャッチボールみたいなこともしていました。
馬鹿ですよね笑
しかし、当時の俺は本当にバカだった。
だけどいい悪いは別にして人生一度くらいは本気で何かに打ち込むべきだし、馬鹿をする時期があってもいいのではと思います。
これは俺の自論です笑
完全に金銭感覚は狂っていました。
それまで貧乏な生活を長く送っていたのでしょうがない部分もあります。
他にもクラブで何十万円のシャンパンを開けて、周りが一斉に立ち上がった姿を見て俺のしもべだと勘違いしなんてこともあります。
金に魅力を感じてるだけなのに。
それをその当時は理解することができなかった。
時間を見つけては夜の街を出歩き、自分が主役になったような気がしていました。
俺は選ばれた人間、何をやっても成功できると完全に信じ切っていたのです。
好きなものは何でも買える。
コンプレックスだった「お金」がある。
それだけで自分が偉くなったような気がする。
何をしても俺は成功できる!
そんな風な自信満々な状態になり
ここからが本当の“成功物語”だと、あの当時の俺は思っていました。
しかし、現実は全然違いました。
天井からどん底へ
ここから転落が始まります
慢心から、知識ゼロの事業に次々と手を出し、大金を溶かしました。
信じて仕事を任せた人にも裏切られ、気づけば──すべてを失っていたのです。
その当時住んでいた豪邸のリビングは、気づけば空っぽになっていました。
1000万で購入した家具は消え、広いリビングに残っていたのはカーテンだけ。家具は全部売り払いました。
とんでもない安い金額で。
また家具だけでなく、その当時付き合っていた彼女も愛想を尽かせたのか、気が付いたら消えていました。
本当に悲しかった。。。
残ったのは冷たい空気と──膝を抱えてうずくまる自分だけ。
とてもさみしかったし、つかの間の成功など幻想だったと思い知らされたのです。
仲間だと思っていた人間も、嘘かというくらい全員消えました。
電話は鳴らない。仲間だったはずの人間は、誰もいない。
皆俺に魅力を感じ付き合っていたのではなく、お金に魅力を感じてつきあっていたのかもしれない。
金のない落ちぶれた奴になど利用価値がないと考えていたのかもしれません。
というよりそれが現実でしょう。
本当にあの時の虚しさは、死んだ方がマシだと思えるほど、 朝、布団から起き上がる理由が見つかりませんでした。
今ネットを主体に自分で活動しているのも
その時の経験が大きく影響しています。
また、
「知らない事業には絶対に手を出してはいけない」
「他人を信用し過ぎてはいけない」
ということを痛いほどその時に学びました。
そこから「廃人」のような生活を続け
意味もなく自分探しの海外の旅をしたりして
気づけば、10年間のドロップアウト。
長すぎるほど長いですよね。
生きてはいる。でも、死んだみたい。
そんな生活が続いていましたし
海外を転々としながら、自分の価値がゼロに思えた時期もありました。
投げやりになり、もうどうなってもいいと感じて
死を意識した瞬間もあります。
仮にもし、その時終わっていたら、今日ここに、私はいません。
では、なぜ私は復活することができたのか?
実はあるきっかけがあり
「再起の火種」
を受け取ることができたからです。
地獄からの復活
ある日、私はテレビの中の言葉に殴られました。
「奪われた人生は、奪い返せばいい。」
その一文が、強烈に胸に刺ささりました。
廃人のような生活を送っていましたが、心の中で「俺はこんなものではないはずだ」そんな根拠のないプライドが残っていました。
しかし、その時の年齢は39歳。年齢的には遅いかもしれない。でも、何歳からでもやり直すことはできる。それを証明しようと決心しました。
成功する保証など一切ありませんが、それは10年以上前に起業したときも状況は同じです。だからやればできるだろうと。
ただし、会社に人生を預けるのはやめる。
自分が経営者として痛い目を見ましたし
そもそも俺の中に会社で働くという選択枠自体がありません。
ただ、元手の資金など
豊富にありませんからネットで戦う。
そして毎日、できることを積み上げる。
失った10年を取り戻すために。
そこからはがむしゃらにオンラインビジネスに打ち込みました。
まずはご存じの方もいるかしれませんが
私が最初に手を付けたのは
他社の商品を紹介して報酬を得るアフィリエイトというビジネスです。
どうでしょうか?1日に15時間ほど作業していた記憶があります。
昼夜逆転。朝日が昇るころ寝て、夕方に目が覚めてまたパソコンの前に座っいました。
暗い部屋でタイピングばかりしていましたし、外の光を見るのはコンビニに行く時くらい
土日に関係なく、誰とも顔をあわさずに
2年ほどモグラのような生活をしました。
ワンルームには机ひとつ。カーテンは閉めっぱなしで、昼か夜かも分からない。
そんな空間で景品でもらった安いパソコンをカタカタと叩き続けていました。
食事も最大限に切り詰めて、カップラーメンと缶コーヒーだけ。冷蔵庫はほぼ空っぽでした。
机の横にはカップラーメンの空き容器と缶コービーのカンが山のように積み上がる毎日。
ネットで人の楽しそうな投稿を見ては、心臓を握られるような痛みを感じていました。
過去の自分を見ているようで辛すぎる。なんで俺はこんなに落ちぶれたのか…
狭い部屋でパソコンをカタカタ叩いて、
これで本当に復活できるのか!!!
何度も疑心暗鬼になったし
心が折れそうになったこともあります。
本当に孤独だった。けれど──この毎日が未来を変えると信じていました。
その時に意識していたのは
一点集中
ターゲットは“過去の私”。
やっていた作業は単純な事の反復です。
決めた作業ルーティンをひたすら毎日こなす。
できそうでなかなかできないそのことを
ひたすら毎日繰り返していました。
媒体はブログ(母艦)/メルマガ(心臓)が主体で、YouTube/X(旧Twitter)をサブの発信媒体として利用していました。
毎日できる限り情報発信コンテンツを作り
毎月一回は商品を紹介する
やっていたのはそれだけですが
3年で、1億
という収益を出すことに成功しました。
27歳の時に起業し半年で7億の資産を作った時に比べたら
手にしたお金は微々たるものですが
「まだ、自分にもやれる!」
そう自信を持つことができた。
そして、精神的にも復活することができました。
その経験から言えることは才能などは一切要らない。
やるべきことをいかに忠実に反復できるか?
成功する要因なんてそれくらいではないか?と思いますし
これが一番大事だと断言できます。
第2の人生にチャレンジ
それなりに稼いだ後、俺はタイに移住した。
なぜ?ビジネスで成功し
安定した生活を手に入れたのに
言葉も生活環境も違う海外に移住などしたのか?
それは自分の人生を変えるため。
二度目のビジネスでもそれなりに結果を出しましたが
なぜか猛烈に新しい人生を歩みたいと感じるようになっていたのです。
それにその当時は海外の恋人ができ
いっそのこと海外移住してもいいのではないか?
と感じていました。
日本の生活にも「閉塞感」を感じていたのも理由の一つです。
行くと決めてから1週間後には海外移住
その当時付きあっていた恋人との新生活をはじめ
約1年後には子供まで授かっていたのです笑
入籍は子供が生まれてからしました。
両親の仲が悪かったことが原因で
昔から結婚願望は一切なかったんですよね。
ですけど娘が生まれてきましたし
ここで自分の人生にけじめを付けなければいけないと
正式な入籍届を出すことにしました。
その子供、娘になりますが
今は英語をメインの言語とする英語話者に成長しています。
なぜ、日本語ではなく英語を第一言語にしているか?
海外に出れば分かりますが、国際共通語は英語です。
また、英語を話せるかどうかはそれなりの教育のレベルを受けているかの判断基準にもなります。完全にそうだとは言い切れませんが、人を選ぶ時の基準にもなります。
さらに子供に将来の選択枠を増やすためにも英語を第1言語にすることに決めました。
娘に英語を選んだのも、教育こそが次の世代に託せる最大の希望だと思ったからです。
この選択が正しいかどうかは人それぞれだと思いますし、僕の場合はそうしたということです。
ちなみに私の家庭では英語が空気みたいに流れています。できる限り自然に
また、私の教育は日本の詰め込み教育とは正反対になります。
しかし、ひたすら暗記するような根性論じゃなく将来子供羽ばたける環境を用意することを意識しています。
また、親は命令だけするような存在ではなく将来に自分の好きなように生きれるように案内する“橋”のような存在でいいと思っています。
なぜなら、私も自分らしく生きてきましたし、それを子供に伝えたい。
それに俺は普段から「自分らしく生きれない人生などクソくらえ」だと思っています笑
だから私は、場所に縛られない働き方にこだわるし
子供に十分な教育を受けさせるために金銭的な利益を得るビジネスも徹底します。
誰にも支配されず、自分を貫く生き方をこれからも続けていく。
それには金銭的な余裕も必要ということです。
ちなみに私は“全身和彫り”日本では、不利に働く場面も多いです。。
でも、それはフィルターにもなりますし、自分を貫いて生きる証にもなります。
別に合わない層と無理して付き合う気もないし、
私に好意を持ってくれ、私を好いてくれる人とだけ付き合う。
人間の時間なんて”有限”だし、できる限り快適に暮らしたい。
そのようなポリシーが私にはあります。
正直私は、見た目は強いです。
だからこそ、話す内容は徹底的に知的で実利的にしています。
ラベルで負けない。中身で覆す。
これが、逆襲のアウトローのやり方です。
実は私が復活してから、ずっと守ってきた軸が3つあります。
今回は学びに熱心な視聴者のためにその3つの軸が何なのか公開していこうと思います。
まず、収入
現実的な話をしますが金がなければ自由にはなれません。
だから毎日「誰か1人の悩みを解決する発信」をする。
それだけで人生は大きく変わります。
私の場合は相手は“過去の自分”。
その人の悩みを解決するために情報を提供していました。
次に自由
これは私が一番大事にしていることです。
金があっても自由がない生活など、私はクソくらえです。
自分の時間を守る。ムダな人間関係、ムダな予定を全部切る。こ
れを徹底するだけで人生が大きく変わります。
実際、時間が空けば、金も学びも、加速します。
次に学び
何があっても、毎日1つ「新しい知識」を入れる。
これを徹底してください。
私もそうでしたが人間どんなに落ちぶれていても、知識を積み上げている限り、人は必ず前に進めます。
私はこの3つを回すことで、地獄から復活しました。
これが「逆襲の軸」
あなたも活用することで人生を逆転することができるでしょう。
今回はさらに最初に取り組んでいた習慣を紹介します。
シンプルに3つだけです。
今この瞬間、心の中でチェックしてください。
❶学び:本を1ページでもいい。今日の自分に「知識の種」を植えてください。
❷収入:過去の自分に宛てた“解決の提案”を1つ書く。SNSでもメモでもいいです。
❸自由:今週、ムダな予定を3つ消しましょう。カレンダーを軽くすれば、人生も軽くなります。
たったこれだけです。
この積み上げで、39歳から復活しました。
俺の人生をまとめてみると
26歳で起業し7億を掴み、10年で全てを失いました。
でも39歳からやり直し、海外で家族と生きられる自由を取り戻しました。
その経験から言えることは
あなたが今どんな状況でも、まだ遅くはありません。
奪われた人生は、奪い返せばいい。
【重要】40-50代限定「まだ間に合う」逆転情報
7億失った男が復活できた理由を知りたくないか?
39歳から海外移住を実現した具体的手順、
「金が欲しい」を堂々と言える思考法、
家族に頼りにされる男になる現実的戦略…
ここでは書けない濃い内容を毎日21時に配信中。
40-50代で「このまま終われない」と感じているなら、
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【期間限定特典付き】KEIの「金・金・金」逆襲レター(無料)
公式メルマガでは27歳で7億円を稼ぎながら全てを失い、39歳から復活した男が「金が欲しい」を堂々と語りながら書いた人生逆転コラムが毎日無料で配信されます。
配信内容の一部
▶︎「金が欲しい」罪悪感を捨てて稼ぐマインド
▶︎家族に頼りにされない現実から脱出する方法
▶︎40-50代が「まだ間に合う」と確信できる根拠
▶︎会社依存を断ち切り自立する具体的戦略
▶︎家族を守るための現実的な金の稼ぎ方
▶︎妻に見放される前にやるべき3つのこと
▶︎「このまま終われない」男の最後の逆転術
▶︎子供に尊敬される父親になる方法
▶︎老後資金2000万円を現実的に作る手順
▶︎7億失った男が掴んだ「本物の自由」とは?
▶︎10年ドロップアウトした男の復活思考法
▶︎奪われた人生を奪い返す具体的行動計画
etc…
登録すると3つの特典動画を無料プレゼント
特典1:なぜ40-50代男性は「金が欲しい」と言えないのか?
罪悪感・世間体・家族の目…多くの中年男性が金銭欲を否定する3つの理由と、堂々と稼ぐマインドの作り方
特典2:39歳から「金・金・金」で逆襲できた3つの現実論
パソコン初心者が3年で1億円を達成した、感情論抜きの継続メソッドを完全公開
特典3:40-50代専用「まだ間に合う」逆転ロードマップ
家族責任・時間制約・体力限界…制約だらけでも人生を180度変える現実的3ステップ
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