会社をクビになった39歳が、タイで自由に生きるまで——後藤の全記録

はじめまして。後藤です。

 

今、私はタイで暮らしています。

 

 

 

朝は自分の好きな時間に目を覚まし、
好きなカフェでコーヒーを飲み、
好きな時間にパソコンを開く。

 

誰かに命令されることもなく、
満員電車に揺られることもなく、
意味のない会議に時間を奪われることもない。

 

時間は自分のものだ。それが今の私の日常です。

 

でも、3年前の私はまったく違う場所にいました。

 

会社をクビになり、貯金はみるみる減り、
将来が真っ暗に見えていた39歳の男。

 

そんな私が、どのようにしてこの生活を手に入れたのか。

 

今日はその話を、包み隠さず書こうと思います。

 

読み終えたとき、あなたの中に
「自分にもできるかもしれない」という
小さな火が灯れば、この記事を書いた意味があります。

 

「普通」の社会人として生きた20代・30代

 

私は特別な人間ではありません。

 

地方の普通の高校を卒業し、
普通の大学を出て、
普通に就職活動をして、
普通に会社員になりました。

 

情報発信の世界で見かける
ドラマチックなストーリーや
高学歴の人たちとは全然違う生い立ちです。

 

普通過ぎるほど普通。

 

それが僕の現実です。

 

そんな僕が大学を卒業し
初めて勤め始めたのが中規模のメーカーでした。

 

特別やりたいことがあったわけではありません。

 

これまで面倒を見てくれた両親を安心させるために

 

「安定している」

 

「福利厚生がしっかりしている」

 

その基準で興味がないにかかわらず
会社を選びました。

 

今思えば、最初から
自分の人生を自分で選ぶという
感覚が欠けていたのかもしれません。

 

ただ、

 

「自分の半径1Mの人たちを幸せにする」

 

この信念のもとに
自分が働く会社を選んだということです。

 

この理念は海外に移住した今でも変わることはありません。

 

この会社は仕事自体は悪くありませんでした。

 

 

真面目にやれば評価されるし、
上司にもそれなりに可愛がってもらえました。

 

でも、どこかいつも

 

「これが自分の人生でいいのか???」

 

という違和感が胸の奥に引っかかっていました。

 

流されるだけの人生。

 

自分が理想とする世界から
目を背け続ける人生。

 

誰にも話したことはありませんが
昔から「海外」への憧れがあり

 

もっと自由に生きてみたい!!

 

と常に考えていたんですよね。

 

それが今の海外生活につながっているのかもしれません。

 

その当時、月曜日の朝が本当に嫌いでした。

 

心当たりがある人もいると思いますが
日曜日の夕方になると、胸が重くなる。

 

「明日また会社か」

 

という感覚。

 

あの頃は日曜になるとため息ばかりついていました。

 

きっとこの気持ち、わかる人も多いんじゃないかと思います(笑)

 

この閉塞感は30代に入っても、消えませんでした。

 

むしろ、年を重ねるごとに
強くなっていった気がします。

 

同期が少しずつ昇進していくのを横目に
自分は何をやっているんだという焦り。

 

家と会社の往復だけの毎日。

 

その生活に違和感を感じていましたが
何もできない自分がいました。

 

給料は上がらず
やりがいも感じられず、
ただ時間だけが流れていく。

 

「このままで俺の人生は終わるのか?」

 

と何度感じたか分かりません。

 

も、何かを変える
勇気も行動力もなかったし
変えようとしたとき、すぐに

 

「失敗したらどうする」

「安定を捨てるなんてバカだ」

 

という声が頭の中に響いてきて、動けなくなる。

 

そういう日々を、私は30代の
大半を使って過ごしてしまいました。

 

いまになって考えても
自分に嘘をつきながら生きていた時代です。

 

恥ずかしながら。

 

突然の解雇——人生最大の危機

 

 

ある日、上司に呼ばれました。

 

39歳の春のことでした。

 

上司に「ちょっといいか」と呼ばれ、
会議室に入った瞬間、嫌な予感がしました。

 

そこには人事の担当者もいた。

 

「会社の業績が厳しい状況で……」

 

から始まった話は、結局、
私のポジションが不要になったということでした。

 

リストラです。

解雇通知。

 

頭が真っ白になりました。

 

 

10年以上勤めた会社です。

 

若くもない。

 

特別なスキルがあるわけでもない。

 

急に放り出されて、
これからどうすればいいのか。

 

会議室を出たあと、
エレベーターの中で天井を見上げながら、
声も出なかったのを今でも覚えています。

 

 

「悔しかった!」

 

「不幸な運命を与えた神を呪った!」

 

しかしそんなことをしても
自分の人生が好転するわけもない。

 

しかし、それより強烈だったのが
貯金が減っていく恐怖との闘いです。

 

退職後、最初の数ヶ月は呆然としていました。

 

ハローワークに行き
求人票を見て、履歴書を書いて、
面接を受ける。

 

普通の人ならそうするかもしれません。

 

しかし、僕は社会から裏切られた。

 

信じていた会社から裏切られた。

 

そんな経験をしているので
再就職して働こうという選択枠は一切ありませんでした。

 

 

「こいつらを見返してやる」

「これからは自分の人生を好きなように生きる!」

 

 

このような過激な考えを
そこから数年持ち続けていたのです。

 

しかし、年齢も
39歳という微妙な年齢ですし
特別なスキルを持ち合わせていないので
果たして再就職できたかどうかは疑問です。

 

 

また、貯金はじわじわと減っていく、、、

 

 

その恐怖に怯えていく恐怖と戦っていたのも
紛れもない事実です。

 

 

毎月通帳を見るたびに、
数字が削れていく。

 

「金がない!」

「俺は死ぬのか?」

 

あの感覚は、
じわじわと首を
絞められているようなものです。

 

 

食事を1日1食にして生活費をおさえて
電気も節約し布団に潜り込む毎日。

 

 

このままではいけない。

 

 

でも、どうすればいいかわからない。

 

 

今でもビジネスを辞めないのは
この時の「恐怖感」が
影響している可能性が高いです。

 

 

止まってしまうと
また金がない恐怖に襲われるかもしれない。

 

 

その恐怖はいまだに消えません。

 

 

そんなある日、私はひとつの言葉に出会いました。

 

奪われた人生は、奪い返せばいい

深夜、眠れずにテレビをつけていたとき、
画面の中の人間がこう言いました。

 

「奪われた人生は、奪い返せばいい。」

 

たった一言です。

 

 

でも、その言葉が胸に深く突き刺さりました。

 

 

僕は確かに、
何かを奪われてきた。

 

 

安定だと思っていたものに裏切られ
自分の時間と青春を会社に捧げてきた。

 

 

でも、それを
嘆くだけで終わらせるのか。

 

 

それとも、取り返しにいくのか。

 

 

その夜を境に、何かが変わり始めました。

 

 

私は決めました。

 

 

もう、組織に人生を預けない。

 

 

自分の時間と収入を、
自分でコントロールできる生き方をする。

 

でも当時の私には、
大きな資金も、特別なスキルも、
コネクションありませんでした。

 

金ゼロ、スキルゼロ、人脈ゼロ

 

本当に何もない
ゼロに近い状態です。

 

 

そこで目をつけたのが、
インターネットを使ったビジネスでした。

 

ネットビジネスの最大のメリットは、
初期コストがほぼかからないこと。

 

パソコンとネット環境さえあれば、
今日からでも始められる。

 

失うものが少ないからこそ、
僕のように何もない人間でも挑戦できる。

 

 

やるなら、今しかない。

 

39歳という
年齢に言い訳をするのはもうやめようと、そう決めたのです。

 

 

地獄のような2年間——カップラーメンとパソコンの日々

ここから暗い部屋で
ひたすらキーボードを叩く日々が始まりました。

 

最初に始めたのは、アフィリエイトです。

 

他者の商品を紹介し、
購入されたら報酬が入るビジネスモデル。

 

ブログを書き、
メルマガを発行し、月一で商品を紹介する。

 

やること自体は単純です。

 

ただ、結果が出るまでには時間がかかる。

 

毎日、最低でも10時間以上は
平均して1日15時間以上作業していました。

 

朝から深夜まで、
カーテンを閉めた部屋でひたすら
タイピングを続ける日々。

 

外の光を見るのは、コンビニへ買い出しに行くときだけ。

 

その習慣があるので
今でもまぶしい中で作業をするのが苦手です(笑)

 

経費を最小限にするために、
食事はカップラーメンと
ブラックコーヒーに絞りました。

 

体に悪いことは理解していますが
その当時は金がないし
そうするしか手段がなかったんですよね。

 

冷蔵庫はほぼ空っぽ。

 

机の横には食べ終わったカップラーメンの容器と、
缶コーヒーの空き缶が山のように積み上がっていた。

 

 

 

今でも、あの部屋の空気の匂いを覚えています。

 

昼か夜かもわからない。

 

体内時計は完全に狂っていました。

 

朝日が昇ってから眠り、
夕方に目を覚まして、
また暗い部屋でパソコンに向かう。

 

そんな生活をしていたので
たまに宅急便の方が来たときは
まともに話すことができないこともありました。

 

声が出ないんですよね。

 

信じられないかもしれませんが。

 

そんな生活をしていても状況は改善しない。

 

報酬が発生しない。

 

そんな状態がしばらく続きます。

 

それでも私が続けられたのは、

 

「この毎日が未来を変える」

という信念があったからです。

 

根拠なんてなかった。

 

誰かに保証してもらったわけでもない。

 

1日15記事書いても1円も稼げない。

 

でも、やり続けることだけが、
自分にできる唯一のことだった。

 

一点集中

 

これだけを意識しました。

 

余計なことを考えない。

 

無駄な人間関係に時間を使わない。

 

目の前の作業だけに全力を注ぐ。

 

決めたルーティンをひたすら毎日こなす。

 

やるべきことをいかに徹底して反復できるか。

 

それだけを考えていました。

 

才能は関係ない。

 

センスも関係ない。

 

決めたことを、
どんな状況であれ淡々と続けられるかどうか。

 

それだけが、結果を分ける唯一の差だと
僕は今でも強く信じています。

 

3か月後の奇跡ーー逆転の人生が始まる

作業を始めて3か月後
あまりにも結果が出ないので

 

「本当にこのまま続けても結果が出るんだろうか?」

 

と今の状況に疑心暗鬼になっていました。

 

2つのブログを運営して
1日10記事以上投稿しているのに結果が出ない。

 

なぜだ?

なぜなんだ?

 

俺は真剣にやっている。

 

自分の実力にも自信がないので
親にも頭を下げて60万借金をして
プロからも指導を受けている。

 

僕は怠けていない。

 

誰よりも真剣に作業に取り組んでいる。

 

そんな気持ちが強くなり
努力している量に比例して結果が全然でないので
自分に対して疑心暗鬼になっていました。

 

もう心が折れる寸前で

 

「これでダメなら肉体労働をするしかない!」

 

そこまで追い込まれて
これでダメならとある商品の関連記事を
連続して10記事以上投稿したのです。

 

すると。、、、

 

いきなりピコンピコン
と購入通知が鳴り響き

 

最終的には60万以上
の利益を出すことができました。

 

今では高単価の商品が増えましたが
当時はアフィリエイトで
1件1~2万円くらいの報酬ですから
それなりに成約件数がないとそれくらいの金額にはなりません。

 

 

あきらめなくて良かった。

折れなくて良かった。

 

 

そう感じた瞬間でした。

 

ここだけの話ですが
当時福島原発の除染の作業が話題になり
日当3万の報酬がもらえるという情報もあり
本気で「もし失敗したら行こう」と考えていました。

 

これは事実ですので
もしどこかで心が折れていたり
逃げ出していたらここで発信活動を
することもなかったはずです。

少しずつ積み上がってきた手応え
そこからから、
少しずつ変化が出てきました。

 

アクセスが増える。

 

読者が増える。

 

収益が上がる。

 

最初はわずかな金額でしたが、
それでも「ゼロではない」という事実が、
私を前に進ませました。

 

ブログへのアクセスが増え、
メルマガの読者が増え、
メールでの質問が増える。

 

数字が少しずつ動き始めると、
人間は強くなります。

 

「続けていれば、変わっていく」

 

という確信が、日々の作業の質を上げてくれました。

 

毎月1回、
自分が価値を感じた商品やサービスを読者に紹介する。

 

読者の悩みに応える情報を、毎日発信し続ける。

 

やっていたのはそれだけです。

 

「近道」を探す人が多いんですが
急がば回れでやるべきして。